2017年07月01日

大阪写真

前回に引き続き大阪旅行の写真です。
神風連は勉強中につき、旅写真で失礼します。
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ご存知、太閤秀吉公で御座います。
豊国神社の鳥居前にドン!とおわす公の姿は威風堂々という感じです。
銅像なのですが、圧倒される、、これが天下人といふものか。
そして、大阪城を山里曲輪に向かうと、切なくも秀吉公が守りたかった豊臣と後継者である秀頼公の自刃跡が。
いつの時代も、敗者は歴史の闇に葬られるのだなと、ここに限らず訪れる先々で出会う敗者の歴史は実に物悲しく日の目を、、と願うばかりです。
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豊臣秀頼、淀殿自刃の地
秀頼公の父親は諸説ありますが、母親である淀殿と共に大阪の陣で追い詰められ、自害した場所と言われています。これも諸説ありますが。
今も花形向けられており、遣る瀬無さばかりではない、人の温かみを感じる場所です(´ω`)
城郭の荘厳さの影にある、こうした風景は大事に守りたいものですね。

posted by ほっこ・しげはる at 20:46| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月03日

大阪城へ

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皆様ご存知の有名なお城です。
広島城が模した大阪城。正確には聚楽第の方ですが、大阪城と同じ輪郭式平城ですので、本丸を二の丸で囲い込む方式に加え、深い外堀がその周囲を広く囲んでいるため、まさに要塞、、恐るべき築城技術。
ちなみに大阪城(別名、金城)は、1585年に
石山本願寺が戦役で焼失後、代を経てこの地を領有した豊臣秀吉により築城されました。
有名な事ですので端折りますが、現在のお城は豊臣秀吉築城の大阪城ではありません。
1615年、大坂夏の陣で豊臣秀頼公と共に焼失、そして焼け跡には石垣のみ残されていました。その5年後に豊臣色の払拭と徳川氏権威を示すべく、豊臣氏遺構の城跡を覆い隠すよう盛り土をした為、豊臣時代の大阪城を描くことは難しくなっています。
近年は豊臣石垣発掘があり、現行のお城より幾分目線の低い当時の姿が見えてきたようですね。行って見たい、、
大阪城へは環状線でするっと楽に到着。
いや〜流石、天下人のお城は凄まじい。
大きさも立派ですが、これは、当時の人々も仰ぎみるだけで、逆らう気も削がれたでしょう。
しかし、できるならば、豊臣時代の大阪城が見たかった、、白塗りではなく、黒塗りの本丸とか何処かで聞いたので、、
これだから、史跡は良いですね。
威光も感じられますが、落ち着く、、日本人だからでしょうか、、
新しいものへと目指す世の中の動きと対照的に、こうした古き良き我が国の固有の文化もしかと遺し継承されている、小さな喜びを感じる瞬間、それが現地で遺構に触れた際の安堵なのでしょうか。
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※大阪城関連の残りの写真は後日まとめて紹介します。
posted by ほっこ・しげはる at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記